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やばいぞ安倍政権

2007/08/01 06:25

 

と国民は判断したんですけどね。

参院選、全議席が確定 自民惨敗 民主躍進60議席 

 第21回参院選は29日投票され、即日開票された。年金問題などによる逆風で、
 自民党
は勝敗を左右する1人区で民主党や野党系無所属候補に相次いで敗れ
 るなど、歴史的大敗を喫した。

ただ、阿比留記者のマックス・ウェーバー「職業としての政治」の最後を引き合いに出した励ましが効いたのか、続投するようです。

政治への「天職」が試されているのかも 

 自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自
 分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けな
 い人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自
 信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。


「職業としての政治」には、有名な「心情倫理」と「責任倫理」というのがあります。

「責任倫理」というのは、「自分の行為の結果が前もって予見できた以上、その責任を他人に転嫁できないと考える」。

一方、「心情倫理」は「純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないようにすることだけ『責任』を感じる」。

マックス・ウェーバーはこう言う。
心情倫理家が輩出して「『愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私ではなく他人にある。私は彼らのために働き彼らの愚かさ、卑俗さを根絶するだろう』という合言葉を我が物顔に振り回す場合」、「私はこの心情倫理の背後にあるものの内容的重みを問題にするね。そしてこれにないする私の印象はといえば、まず相手の十中八九までは、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹きというところだ、と」。

これに対し、「結果に対する責任を痛切に感じ責任倫理に従って行動する、成熟した人間が」、「『私としてはこうするよりほかない。私はここに踏み止まる』(ルターの言葉)と言うなら、測り知れない感動を受ける」。

そして、「心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って「政治の天職」をもちうる真の人間を作り出すのである」。

安倍首相のテレビなどでの主な発言


 私の国づくりはスタートしたばかり。改革を続行し、新しい国づくりをす
 ると国民に約束した。政局運営は厳しい、苦しい状況だが、約束を果たす
 ことが私の責任、使命だと決意している。
  この惨敗の責任は私にある。国民の声を厳粛に受け止める。私の政権へ
 の批判だと思う。
  これまで進めてきた美しい国づくりは、基本的には国民の理解を得られ
 ていると思う。その方向で進んでいくことが(政府与党への)信頼回復に 
 つながる。

「自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹き」という声が聞こえてこなければよいのですが・・・。

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 安倍政権

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